11月3日は「祝日」なのか「祭日」なのか、いまだにはっきり答えられません。
はっきりさせるために調べてみました!
調べている中で、11月3日は明治天皇と深く関係していることが 浮き彫りに…。
11月3日は「祝日」なのか「祭日」なのか・明治天皇との深い関係とは何か…・
これを知ればきっと、祝日と祭日どっちなのか ハッキリする気と思います!
Contents
11月3日はどんな日?何の日?

11月3日は『文化の日』です。
『文化の日』は、「国民の祝日に関する法律:祝日法」によれば、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としております。
皇居で「文化勲章」の授与式が行われてる日でもあるのです。
有名な受賞者を紹介します。
- 森繁久弥(役者)
- 司馬遼太郎(小説家)
- 遠藤周作(小説家)
- 森英恵(デザイナー)
- 森光子(役者)
- 三宅一生(デザイナー)
- 山田洋次(映画監督)
- 高倉健(役者)
- 草間彌生(芸術家)
さらに、文化の日を中心に文化庁が主催する芸術祭や文化功労章の表彰なども行われており、文字通り『文化を称える日』として、日本の文化に触れる行事が多く行われているんです。
- 2019年8月3日(土)
国民文化祭・にいがた2019プレイベントin東京「子供に伝えたい食文化~和ごはんってなあに?~」の開催 - 2019年8月24日(土)~8月25日(日)
第30回全国高等学校総合文化祭優秀校東京公演 - 2019年10月28日(月)~2019年11月4日(月・祝)
「第16回文化庁映画週間」の開催
引用:文化庁公式サイト
内容の難しそうな「○○シンポジウム」などの行事もたくさんあったので、わかりやすい行事をピックアップしてみました。
誰でも親しめる行事から、わかる人にしかわからない ちょっと難しい内容まで様々なものが計画されていました。
11月3日『文化の日』は「祝日」と「祭日」どっち?
「祝日」と「祭日」どちらなのか はっきりさせましょう!
11月3日『文化の日』は「祝日」です。 「祭日」ではありません。
簡単に言うと「祝日」は現在の祝日法という法律によって定められた休日のことです。
「祭日」は皇室祭祀令(こうしつさいしれい)という法律によって定められていたものでしたが、その法律が廃止されてしまったため事実上 暦からなくなってしまいました。
カレンダーに「祭日」という文字を見かけなくなったのもそのせいです。
ということで、11月3日『文化の日』は「祝日」です!
11月3日「文化の日」と明治天皇の関係は?
11月3日「文化の日」は日本国憲法が公布された日なのですが、もう一つ重要な記念日でもあります。
それは、「明治天皇の誕生日」ということです。
明治時代の11月3日は「文化の日」ではなく、「天長節」という祝日でした。
「天長節」とは その時代における天皇の誕生日を祝った祝日のことで、明治6年に国の祝日とされましたが、現在は「天皇誕生日」という名で親しまれています。
明治天皇が崩御した後も平日に戻らずに「天長節」という祝日として 2つの時代に存在しました。
実は「天長節(天皇誕生日)」が時代を超えても祝日として扱われるのは異例なんです!
天皇陛下として在位している間だけ、その天皇陛下の天皇誕生日は祝日になるので、基本的に崩御後、天皇誕生日は平日に戻ります。
では、明治天皇から現在の今上天皇まで、代替わりした後の歴代の天皇誕生日がどうなっているのか見てみましょう。
明治天皇 | 11月3日 | 『文化の日』 |
大正天皇 | 8月31日 10月31日 |
祝日にならず |
昭和天皇 | 4月29日 | 『みどりの日』⇒『昭和の日』 (『みどりの日』は5/4に) |
上皇 | 12月23日 | 平日(現在存命の為) |
今上天皇 | 2月23日 | 『天皇誕生日』 |
崩御後も、天皇誕生日が祝日として制定されているのは明治天皇と昭和天皇だけです。

【明治天皇】 引用:Wikipedia

【昭和天皇】 引用:Wikipedia
明治天皇より以前の天皇の天皇誕生日も平日に戻っていたのではないかと思われます。
上皇の誕生日は2020年から平日になるんですが、それは今上天皇の「天皇誕生日」とご存命の上皇の誕生日 両方を「国民の祝日」にしてしまうと『二重権威』にあたるためです。(「天皇退位特例法」に基づく)
“1つの元号につき天皇陛下は1人” とする明治天皇の制定した「一世一元の制」という制度もあります。
明治天皇は「日本の近代化という功績」やさまざまな偉業を成し遂げ、昭和天皇は初めて「国の象徴」として国民と言葉を交わし、最も国民に触れ合う機会を作りました。
その為、明治天皇と昭和天皇は「天皇誕生日を祝日として残してほしい」という動きが起こりました。
それもあり、現在も名前を変え祝日として存在しているといわれています。
大正天皇の天皇誕生日が祝日ではない理由

【大正天皇】 引用:Wikipedia
気になるのは、どうして大正天皇の天皇誕生日は祝日にならなかったのか… ですよね!
大正時代はとても短く、15年しかありませんでした。
それも理由の一つだと思われます。
15年しかなければ、明治天皇のような目立った功績もたてられなかったのではないでしょうか。
その為、大正天皇の誕生日は平日に戻った…というのが、色々な天皇誕生日を調べてみた考察です。
大正時代だけの祝日があった!?
大正時代には「天長節(天皇誕生日)」ととても似ている祝日があったんです。
それは、どんな祝日だったのか…。
大正天皇の誕生日は8月31日です。 夏真っ盛り!
実はこの季節が大きく関係しています!
大正天皇は病弱な方だったようで、夏真っ盛りの8月31日に「天長節」に伴う式典を行うと、大正天皇のお体に触るのではないかと懸念されました。
そこで、夏真っ盛りの熱さや 冬真っ盛りの寒さのない季節に式典を行うことになり 選ばれた日が表に記載された“10月31日”。
その名は「天長節祝日」!
「天長節」が大正天皇の誕生日として、「天長節祝日」が”天長節の式典を行う日”として、この2日が大正の時代だけ祝日となりました。
本題を忘れてしまうところでしたが、『文化の日』が「祝日」か「祭日」か迷ってしまうのは、11月3日が明治天皇の天皇誕生日で 皇室行事の1つだからという理由が考えられます。
ですが、廃止になった法律により制定されていたものが「祭日」なので、現在は存在せず「祝日」が正解ということです。
11月3日「文化の日」と明治天皇の隠された関係とは
11月3日にはもう1つ大事なことが隠されています。 それは「日本国憲法公布日」であるということ。
「日本国憲法公布日」と「明治天皇誕生日」という二つの記念日が重なっていることは偶然なのでしょうか…。
この疑問の答えは、「No」!!
旧憲法である「大日本帝国憲法」の公布日は2月11日で、これは日本の初代天皇「神武天皇」の即位日を祝日に制定した『紀元節』という日です。
現在は「建国記念日」として祝日になっています。
新憲法「日本国憲法」もこれに倣い、縁起の良い「明治節(明治天皇の天皇誕生日)」を公布日に選びました。
ですが当時の日本は第二次世界大戦敗戦後、アメリカ軍を主とした連合国が日本を占領し 今後戦争をさせないようにするための思想などを説き日本を管理するGHQという機関が設けられていました。
その占領下であったため、公布日を「明治節」11月3日にすることが難しかったのです!
GHQと日本政府
明治時代に日本はいくつもの戦争に勝利していました。
それだけではなく、日本を近代国家にした明治天皇の偉業は 国民が天皇を強く慕う大きな理由でした。
当時、天皇制や神道への強い国民の意識に脅威を感じたGHQは 天皇を国の「象徴」とするように改めさせます。
GHQが「日本国憲法公布日」を11月3日にすることに難色を示したのも、11月3日が「明治節(明治天皇の天皇誕生日)」だったからです。
そこで日本も考えました! まず11月3日を存続させるという方向に切り替えます。
「明治節」ではなく「文化の日」という名称の祝日にし、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」という意味を持たせて真意を隠し、見事 11月3日を存続させることができたのです。
「明治節」を「文化の日」に改めたことでGHQの許可が下り、「日本国憲法公布日」となりました。
この出来事を改めて振り返ると、令和の時代に生きる私たちの想像以上に 国民に慕われ尊敬されていた天皇であることが伝わってきます。
まとめ
今回は「文化の日」が祝日なのか祭日なのか・明治天皇と関係があるのはどうしてか という点について 解説していきました。
現在は「祝日」のみ存在していますが、戦前や戦後間もないの方は「祭日」で浸透しているでしょう。
一旦浸透した国民の文化は、そう簡単にアップデートできるものではないので、今も「祭日」という言葉が存在し続けているのだと考えられます。
実際に「祝祭日」という記載も まだまだ目にしますよね。
ですが、現在は「祝日」が正解なので、「祝日」と「祭日」の違いを理解しておくといいかもしれませんね。
最後までご覧いただき ありがとうございました。